ミステリーもの禁じ手・タブーとして有名な「ノックスの探偵小説十戒」について原文や訳、考察などをまとめています。
探偵小説十戒(ノックスの十戒)
十戒を定めたロナルド・ノックスという人物は20世紀初頭に活躍したミステリー作家で、代表作は「陸橋殺人事件」です。アガサ・クリスティーなどが所属した伝説的なミステリー作家の団体(ディテクション・クラブ)にも所属していました。ノックスは作家でありながら、聖職者・神学者でもありました。そのため、推理小説に関する戒めを書いたと言われています。
「ノックスの十戒」はその名の通り、探偵小説に関する10のルールです。一般的に広まっているのは短文でまとめられた戒律(ルール)部分ですが、原文には、戒律に対するノックス自身のコメントも添えられています。初出となったのは、1928年版「イギリス探偵小説傑作選(日本語タイトルは探偵小説十戒)」の序文で、1929年に発行されています。以下、原文と日本語訳をまとめます。なお、原文は下記の参考サイトから引用しております。
1.犯人の性質
The criminal must be someone mentioned in the early part of the story, but must not be anyone whose thoughts the reader has been allowed to follow.
犯罪者(犯人)は物語の最初の部分で言及された人物でなければならない、しかし、読者がその思考に従いえる人物であってはならない。
物語の冒頭に犯人が登場していなければならないが、その犯人が主人公やヒロインなど、思っていることや考えていることがわかる人物であってはならないというルールです。
考察
例えば推理小説で物語の語り手が犯人である場合、このルールを破っていることになります。しかしながら、こういった結末の作品は多くあります。ノックス自身も“クリスティ女史の驚くべき型破りを考慮すること”とコメントしてます。その他、このルールでは、“全く物語に登場しなかったマフィアが犯人だった”というような結末も禁じられていると考えれられます*1。
*1:物語の書き方によってこういったオチが読者に衝撃を与える場合もあります
2.超自然的な力
All supernatural or preternatural agencies are ruled out as a matter of course.
当然のことながら、すべての超自然的な類は除外される。
agenciesは超自然的な力と訳すことができます。すなわち、超能力、霊能力、心霊現象などは一切登場させてはいけないというルールであると解釈できます。
考察
特殊設定ミステリーやホラー要素を含んだミステリーも禁じ手とするような内容です。超自然的な存在を許容した世界観だけではなく、現実を舞台にした作品であっても、超能力による犯行や悪魔の仕業などを匂わせる場合は、十戒を破ることになります。これについてノックスは“見当違いの人物を疑う楽しみを失ってしまう”からであるとコメントしています。
3.隠し部屋
Not more than one secret room or passage is allowable.
秘密の部屋や通路は複数存在してはならない。
複数ですので、隠し部屋や通路は1つであれば許可されると解釈できます。
考察
1つは許可されるというのが不思議なところではありますが、屋敷であればそういった隠し部屋が1つはあるというのが常識だったということです。ノックスは著作の中で“カトリック受難時代の建物”という説明を加えて、秘密の通路があることを匂わせたとコメントしています。日本でいうと、戦時中の防空壕がイメージしやすいかもしれません。とはいえ、たとえば密室の事件で、そのオチが突如として現れた隠し通路だったとしたら、たとえ1つしかなかったとしても、がっかりすると思います。
4.毒と科学的装置
No hitherto undiscovered poisons may be used, nor any appliance which will need a long scientific explanation at the end.
未発見の毒物や、最後に長い科学的説明を必要とする装置は使用できない。
未知の毒物は使用できないというルールです。科学的な装置も、長ったらしい説明を要する場合は使用してはいけないとあります。
考察
摂取した瞬間に即死するが、その後体内で分解されるという都合のよい毒などは登場させてはいけません。発見されている毒物を使うべきです。科学的な装置の説明というのは、顕微鏡で観測した場合の2種のガラスの違いについて延々と説明して、ようやく証拠の一つが登場する場合などが考えられます。
5.中国人
No Chinaman must figure in the story.
物語に中国人を登場させてはならない。
中国人という登場人物は許されません。Chinamanなので、日本人など他のアジア人は含まれないようです。
考察
物語の中での役割に関する内容ですが、単なる偏見なので、無視すべき内容です。ノックスは“私にもうまく説明できない”とコメントし、理由については“西欧人には、中国人は頭脳が優秀でありながらモラルの点で劣る者が多い、という偏見が根強いから”と説明してます。ノックスも偏見を持っていたかもしれませんが、そういった人物が推理小説の中に登場したので、禁じたと考えられます。
6.偶然と直感
No accident must ever help the detective, nor must he ever have an unaccountable intuition which proves to be right.
いかなる偶然も探偵や刑事を助けてはならない、また、後になって正しいことが証明されるような説明のつかない直感を使ってはいけない
偶然や根拠のない直感によって捜査が進展することは禁止されています。
考察
根拠のない直感というのは、ひらめきの過程がまったく説明されていない場合をいいます。なんか思い付いた、突然ひらめいたというのは説明になっていません。刑事ものでよく登場する「刑事の勘」の場合、その勘が経験に基づいているならば、その経験について語る必要があります。
7.探偵が犯人
The detective must not himself commit the crime.
探偵や刑事自身が犯人であってはならない。
考察
探偵に変装している犯罪者の場合は問題ありません。物語に探偵や刑事として登場しているのにも関わらず犯人の場合は、十戒を破っていることになります。しかしながら、ミステリーで実は刑事が犯人だったというのは、よくあります。なお、心理描写がある主人公の助手が犯人であるというのは、十戒の1で禁じられています。考えや思っていることが書かれているはずなのに、自分が犯人だという大事なことは記述していないので、読者に対してアンフェアになります。
8.手掛かりの性質
The detective must not light on any clues are not instantly produced for the inspection of the reader.
探偵は読者に提示していない手がかりで解決してはならない。
真相を理解する上で重要な手掛かりは予め提示するという内容です。
考察
犯人を追い詰める段階になって、突然、防犯カメラの映像が決定的な証拠として出てくる状況などは論外といえます。重要な証拠がみつかったということだけが描かれて、具体的には何も語られてないというのも禁じられています。
9.相棒
The “sidekick” of the detective, the Watson, must not conceal from the reader any thoughts which pass through his mind: his intelligence must be slightly, but very slightly, below that of the average reader.
探偵の「相棒」であるワトソンは、彼の心に浮かんだ考えを読者に隠してはならない。彼の知性は平均的な読者よりもわずかに、しかし非常にわずかに劣っていなければならない。
サイドキック(助手役)に関するルールで、助手の思ったことを包み隠さず書くことや、その知性がやや低めであることが記されています。
考察
他のルールとは異なり、キャラクター設定について書かれており、嘘をつかない平均的な頭脳の助手(ワトスン役)が推奨されています。こういった助手は探偵ほど頭が冴えていないため、物語の中でなかなか真相に気付きません。それが読者よりも劣っていれば、読者は助手よりは酷くなかったという優越感にひたることができます。ノックスはワトスン役が推理小説に必ずしも必要ではないと明言していますので、助手役が必要不可欠だといっているわけではありません。
10.双子
Twin brothers, and doubles generally, must not appear unless we have been duly prepared for them.
双子、そして、そっくりさんは、一般的に適切な準備ができていない限り登場してはならない。
双子や似ている人は突然登場させてはならないというルールです。
考察
適切な準備というのは、具体的には、双子が双子として最初から登場しているなどの状況です。実は三つ子だった、などというのも当然、ルール違反になると考えられます。
まとめ
推理小説など、推理ものの原則やタブーとして「ノックスの十戒」をご紹介しました。隠し部屋と通路、毒と装置、中国人、双子といった具体的な内容もありますが、犯人の性質や捜査方法などについては抽象的な内容になっています。以下に十戒の内容をミステリーの原則としてまとめます。
犯人について
犯人は物語の冒頭に登場する人物である。その人物は心理描写がされていてはならない*1。
*1:犯人が不明な状況で、犯人自身の心情が描かれている場合、その描写には欺瞞が含まれているからだと考えられます。言い訳は、聞かれなかったから答えなかったなどとなります。
捜査について
重要な証拠は全てあらかじめ登場させておかなければならない。また、捜査は偶然に頼ってはならない。
トリックについて
未知の毒、わかりにくい科学的装置、二つ以上の隠し部屋や通路、突如現れる双子やそっくりさんは使ってはいけない。
登場人物について
中国人は登場させてはいけない(これは無視すべきルールです)。信頼できるちょっと馬鹿な助手がよい。
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