柚月裕子さんの長編小説『逃亡者は北へ向かう』は、東日本大震災直後の混乱を舞台に、不運な運命に翻弄される一人の青年と 、彼を追う刑事の姿を描いたクライムサスペンスです。親からの不幸の連鎖を背負い、意図せず殺人犯となってしまった主人公の悲劇的な逃亡劇と、震災で大切なものを失いながらも職務を全うしようとする刑事の苦悩が交錯します。この記事ではあらすじや登場人物、ネタバレ、感想などをまとめています。
項目 | 評価 |
---|---|
【読みやすさ】 スラスラ読める!? |
|
【万人受け】 誰が読んでも面白い!? |
|
【キャラの魅力】 登場人物にひかれる!? |
|
【テーマ】 社会問題などのテーマは? |
|
【飽きさせない工夫】 一気読みできる!? |
|
【ミステリーの面白さ】 トリックとか意外性は!? |
あらすじ
2011年3月、東日本大震災の直前。児童養護施設で育ち、工場で働く真柴亮は、職場の先輩が起こした喧嘩に巻き込まれ、傷害罪で拘留されてしまう。震災の混乱で処分保留のまま釈放された彼を待っていたのは、逆恨みした半グレの襲撃だった。もみ合いの末、誤って相手を殺害してしまった真柴は、さらに逃亡中に職務質問してきた警察官をも殺めてしまう。
二つの殺人を犯し、指名手配犯となった真柴は、震災前に届いた一通の手紙を頼りに、会ったことのない父親がいる岩手県を目指して北へ逃亡する。その道中、震災で親とはぐれた口のきけない少年・直人と出会い、図らずも行動を共にすることに。一方、刑事の陣内は、震災で娘が行方不明となり妻との関係にも亀裂が生じる中、これ以上誰も死なせたくないという思いを胸に、真柴を執拗に追跡する。
小説の特徴
- クライムサスペンス、警察小説的な要素を持ちながらも、その根底には深い人間ドラマが流れています。松本清張のような社会派ミステリーの要素も感じさせます
- プロローグで立てこもり事件の結末が示唆されており、読者はその結末に至るまでの過程を追体験する構成となっています。基本的に時系列順に物語が進み、クライマックスへと向かいます
- 真柴亮(犯人)と陣内刑事(追う者)の二つの視点から物語が進行し、それぞれの内面や葛藤が深く掘り下げられます
- SAT、陣内刑事、犯人自身、そして少年・直人といった様々な登場人物の視点から、事件や状況が多角的に描かれ、読者に異なる見方を提供します
- 東日本大震災直後の東北地方(福島から岩手への逃亡)が舞台です。未曾有の天災が、登場人物たちの運命を大きく狂わせる背景として機能しています
- 震災による甚大な被害、混乱、避難所の様子、人々の苦悩や葛藤が生々しく克明に描写されており、物語に重厚なリアリティを与えています
- 全体的に「やるせない」「重い」「辛い」「悲しい」といった感情を呼び起こす作風です
- 登場人物の心理描写が非常に丁寧で、読者の魂を揺さぶるような感動を与えます
テーマ
- 不幸の連鎖と運命・生きる意味とは
主人公・真柴亮の生まれながらの不運と、それが引き起こす悲劇的な出来事が描かれます。そのような極限状態の中で、登場人物たちが「生きる意味」や「前に進むこと」を問い続けます。また、震災で多くの命が失われる中で、「もう誰も死んでほしくない」という切実な願いが込められています - 親子の愛情
真柴と彼の父親、陣内と娘、直人とその父親など、様々な形の親子の絆や愛情が物語の底流に流れています - 震災の風化防止
岩手出身の作者が、震災の記憶を風化させないという強い思いを込めて描いています
登場人物
- 真柴亮(ましば りょう)
親の離婚、母と祖父の死により養護施設で育った22歳の青年。真面目な性格だが、不運が重なり意図せず連続殺人犯となってしまいます。誰からも愛されなかったと思い込んでいますが、逃亡中に直人との出会いを通じて、初めて「愛されること」を知り、生きる希望を見出します - 陣内(じんない)
真柴亮を追う刑事。東日本大震災で幼い娘が行方不明となり、妻との関係にも亀裂が生じます。個人的な悲劇と苦悩を抱えながらも、警察官としての職務を全うしようと真柴を追跡します。真柴の境遇に同情や理解を示す一面も持ち、「もう誰も死んでほしくない」という強い願いを抱いています - 直人(なおと)
震災で親とはぐれた5歳の少年。口をきかない(緘黙症の可能性)。逃亡中の真柴と出会い、彼に懐き、行動を共にします。真柴にとって、孤独な人生の中で見出した唯一の希望の光となる存在です - 甲野(こうの)
真柴亮の職場の先輩。酒癖が悪く、真柴が傷害事件に巻き込まれるきっかけを作った人物です - 理代子(りよこ)
陣内刑事の妻。娘が震災で行方不明になったにもかかわらず、職務を優先する夫に対して葛藤や不満を抱きます - 村木(むらき)
直人の父親。漁師。東日本大震災で妻と両親を亡くし、息子である直人が行方不明になったため、必死に捜索を続けます - 真柴の父
真柴が幼い頃にひき逃げ事件を起こし、家族を捨てて姿を消したとされています。真柴とは疎遠になっています - 真柴の母
真柴が2歳の頃に病気で亡くなります - 真柴の祖父
真柴の母親の死後、彼を育てましたが、真柴が9歳の頃に亡くなります。真柴に父親の悪口を吹き込み、彼が父親を恨む原因を作った人物とされています
感想
この小説を読み終えたあと、ただただやるせないという気持ちになりました。こんなにも主人公が不運で、悲劇的な連鎖に巻き込まれていく物語は珍しいかもしれません。冒頭で結末が示唆されているにもかかわらず、ページをめくる手が止まらないのは、真柴亮という青年のあまりにも哀れな境遇に、一縷の希望を抱かずにはいられなかったからです。
親から受け継いだ不幸の連鎖、そして東日本大震災という未曾有の天災が、彼の人生をさらに奈落の底へと突き落とします。 真柴は決して悪人ではない。むしろ、迷子の直人を置き去りにできず、共に逃亡する中で彼に優しさを向ける姿は、彼の根底にある善良さを物語っています。それなのに、彼の行動はことごとく裏目に出て、周囲からは凶悪犯としか見られない。この理不尽さが、読んでいる間ずっと胸を締め付けました。
陣内刑事の視点から描かれる、震災で娘を失いながらも職務を全うしようとする苦悩もまた、深く心に響きます。誰もがそれ ぞれの悲しみを抱え、それでも「もう誰も死んでほしくない」と願う姿は、震災を経験した私たちにとって、忘れかけていた痛みを呼び起こします。柚月裕子さんが岩手出身であり、ご自身も震災でご両親を亡くされていると知り、この物語に込められた渾身の思いと祈りを感じずにはいられませんでした。
真柴が最後に父親からの手紙を読み、愛されていたことを知る場面は、彼の人生における唯一の救いだったのかもしれません 。しかし、その直後に訪れる結末は、あまりにも残酷で、読後には深い喪失感が残ります。それでも、直人という小さな希望の光が、この暗い物語にわずかな温かさをもたらしてくれたことに、感謝したい。この本は、単なるクライムサスペンスを超え、運命とは何か、生きるとは何かを問いかける、魂を揺さぶる作品でした。
高評価なポイント
- 主人公・真柴亮の悲惨な境遇に感情移入できる
- 東日本大震災の描写が非常にリアルで生々しく、当時の混乱や人々の苦しみが伝わってくる(作者の震災への強い思いが伝わってくる)
- プロローグと結末が繋がる構成が巧みで、物語に引き込まれる
- 犯人と追う警察、そして被災者という多角的な視点から物語が描かれ、人間ドラマに深みがある
- 「運命とは何か」「生きるとは何か」といった普遍的なテーマが深く掘り下げられており、心に響く
低評価のポイント
- 主人公の不運が過剰に重なりすぎていると感じる
- 物語が全体的に辛すぎる、あるいは救いがないと感じてしまう。読後にやるせない気持ちが強く残る
- 結末がプロローグで予測できてしまうため、意外性に欠ける。クライムサスペンスとしてのハラハラ感やどんでん返しには欠ける
- 東日本大震災という舞台設定の必然性について、単なる背景に過ぎないと感じる
- 直人が真柴に懐く理由が明確に示されていない、SATの射殺命令に違和感があるなど、一部の描写に不自然さを感じる
結末(ネタバレ注意)
物語のプロローグで示唆されている通り、主人公の真柴亮は、逃亡の末に避難所となっている小学校の体育館に立てこもります。そんな真柴に、彼を追っていた陣内刑事は、真柴の父親からの手紙を渡し、彼が愛されていたことを伝えます。真柴は手紙を読み、自分が愛されていたことを知り、これまでの人生で下した選択が自身の責任であったことを悟ります。しかし、その直後、SAT部隊の狙撃により真柴は射殺され、死亡します。直人と一緒に暮らすというささやかな希望は叶いませんでした。
物語の最後には、成長した直人が真柴の優しさを覚えていてくれること、そして陣内刑事や直人の父親がそれぞれの悲しみと向き合い、前を向いて生きていく姿が描かれ、わずかながらも希望を感じとれます。
次にオススメの推理小説
- 三浦しをん『光』
罪を犯した人間の内面や、その後の人生を描いた作品 - 額賀澪『願わくば海の底で』
東日本大震災を背景に、罪を犯した人間の葛藤や再生を描いた作品
コメント