後期クイーン的問題は「1.作中で探偵が最終的に提示した解決が、本当に真の解決かどうか作中では証明できないこと」及び「2.作中で探偵が神であるかの様に振るまい、登場人物の運命を決定することについての是非」という問題です。以下では1についての解説(考察を含みます)を紹介したいと思います。
これは真実か?
例えば、Aさんが犯人だったとします。だいたいは、Aさんが犯人であることを示す証拠が集まったので、Aさんが犯人ということになると思います。それにも関わらず、本当にAさんが犯人かどうかは証明できない!というのが後期クイーン的問題の1です。そんな風に言われると、探偵さんなり刑事さんなりが集めた証拠は何だったの?という気分になります。
<Aさん犯人説>というのは、様々な証拠によって支持されており、どこにも、A=BでB=CだからA=Cみたいな、わかりすい論理的証明はありません。文章に注目するとなんだか矛盾しているようで意味がわからんということが言いたいわけですが、まとめますと、問題1自体がミステリーな感じです。様々な意見がありますが、数学の証明みたいにガッチリ犯人を決めるにはどうすればいいか?という問題であると解釈できます。
偽の証拠と裏真相
後期クイーン的問題1で語られるのが、<Aさん犯人説>を支持する証拠が偽の証拠かもしれないという話です。凶器にAさんの指紋がついていたが、これは真犯人がAさんに罪をきせるためにあえて残した証拠かもしれない。一体全体どうすれば、それが罠でないことに気付けるのだろうか?
Aさんの指紋がついていたので、Aさんが疑われるのは間違いないです。しかし、Aさんには完璧なアリバイがありました。そんなわけで、凶器の指紋(もしくはAさんのアリバイ)は怪しいということがわかりました――。
だいたいこんな感じで捜査は進むと思います。後期クイーン的問題1で大事なのは、“作中に登場する探偵”という点です。極端な例ですが、もしも作者などの作り手がAさんのアリバイに関する話を省いたら、作中の探偵は指紋という証拠を疑うことはできません。なので、罠であることに気付けなくなってしまいます。
書き方次第じゃね?ということなわけですが、小説に書かれていることがすべてという前提で考えたとしても、作家の予期しない裏真相みたいのができあがっている可能性はあります。それはそれで面白い、なんて思ったりもしますが、そういう難しさがあるよね、というのは確かです。
フェアかどうか
作者が意図的に大事な手掛かりを書いていなかったとしたら、真相を推理しよう意気込んでいる立場としては「作家ずるい!」と叫びたくなります。だいたいのミステリーはそういう書き方のお話ですが、そういったずるい部分を排除したフェアなミステリーは書けないものか?という課題みたいなものが思い浮かんだりもします。
これは、最初に紹介した後期クイーン的問題1から連想できる内容の一つです(後期クイーン的問題の原案を考え出した人物はこの点、すなわちフェアかどうかについて指摘したかった、と紹介しているブログもあります)。
どんな読者であっても真相に辿り着ける面白いミステリーが読みたい!ということで、そんな作品が生まれることを期待しているわけですが、『パンはパンでも食べられるパンといえば?』『フライパン』みたいなことが面白いのかと思いますし、そもそもミステリーなのかという気もします(あくまで一例です)。
まとめ
「後期クイーン的問題」について紹介しました。名前の由来となっているのはエラリー・クイーンという著名な推理作家の名前ですが、クイーン氏自身が問題について語ったわけではありません。後年に、クイーン氏の作品を分析した日本人(推理作家の法月綸太郎氏や評論家)が指摘した問題です。
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