no murder, yes life
森博嗣

私たちは生きているのか?【あらすじ・ネタバレ解説・感想・考察】

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 森博嗣著「私たちは生きているのか?」は2017年3月に刊行された作品で、Wシリーズの5作目です。この記事では、あらすじやみんなの感想などをまとめ、作品について考察しています。

項目 説明
タイトル 私たちは生きているのか?
著者 森博嗣
出版社 講談社
シリーズ Wシリーズ
順番 4
発行日 2017年2月21日
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あらすじ

富の谷。「行ったが最後、誰も戻ってこない」と言われ、警察も立ち入らない閉ざされた場所。そこにフランスの博覧会から脱走したウォーカロンたちが潜んでいるという情報を得たハギリは、ウグイ、アネバネと共にアフリカ南端にあるその地を訪問した。富の谷にある巨大な岩を穿って作られた地下都市で、ハギリらは新しい生のあり方を体験する。
講談社BOOK倶楽部

 ハギリ、ウグイ、アネバネがアフリカ南端のとある国(名称などは詳記されていないようです)を訪れます。その目的は、“富の谷”と呼ばれる地域に集まっているウォーカロンがパリで失踪したウォーカロンかどうかを調べることです。さらに、富の谷がある国の研究機関を訪問するためでした。

 案内人と共に“富の谷”へと向かったハギリ達は、そこで、ある施設を目の当たりにします。

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タイムライン

 作中の出来事(ハイライト)をタイムラインで簡単にまとめます。

ネタバレ注意
ハイライト
  • prologue
    プロローグ
    富の谷への案内人が襲われてしまう
  • 第1章
    生きているもの
    マダム・マグナダのもとへ
    案内人のローリィ登場
    ローリィと共にバイクで富の谷へ向かう
    富の谷に到着
    技師のリンデムがハギリ達を迎える
  • 第2章
    生きている卵
    ハギリ達が村長のシンに挨拶する
    ハギリ達と村長の夕食
    翌朝、脳だけになったウォーカロンの施設を見学
    ボディを捨てたウォーカロンは仮想現実で暮らしている
    ハギリ達もテルグと呼ばれる仮想現実の村へ
    村のリーダーであるキリナバ登場
    ハギリ、ウグイ、アネバネがシンによって仮想現実に閉じ込められる
    3人は図書館でフーリと知り合う
    テルグ村の住民は寝ている間に仕事をしている
  • 第3章
    生きている希望
    脱出方法を探る
    フーリの家へ
    テルグ村で開発しているのは世界中から富をくすねるプログラム
    トランスファのデボラに救援を求める
    カンマパ姿のデボラ登場
    羊攻撃
    デボラがシステムを掌握
    ハギリ達は帰還
  • 第4章
    生きている神
    デボラは太陽光を経由してテルグ村に侵入していた
    逃げたシンを追う
    女性のウォーカロン達を発見するがシンは行方不明
    そのままローリィのバギィで街へ戻る
    研究機関見学
    老婆姿のシンがハギリを襲うが取り押さえられる
    近くにいたキリナバも捕まる
    シンの本体は家政婦らしき老婆だった
  • epilogue
    エピローグ
    花のプレゼント
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ネタバレ

富の谷にウォーカロンが存在し、そのほぼ全員が脳だけとなって仮想現実で暮らしています。このウォーカロン達が開発しているのが、世界中から富を集めるプログラムです。集めるといっても、大胆に盗むのではなく、端数とも言えるようなわずかな金を少しずつくすねています。プログラムを開発しているのはテルグ村の村人達で、彼/彼女らは寝ている間に、開発の仕事をしている様子です。

富の谷の住人すべてが脳だけになっているかというとそうではなく、村長のシンとリーダーのキリナバはボディを持っています。この二人、特にシンは脳だけになったウォーカロン達を支配しているような立場となっており、プログラム開発で得た利益も独占していたようです。

みんなの感想

 口コミを調べてみると『生きている』や『思い出す』という言葉がよく書き込まれていました。

生きている

 生きている、というキーワードも口コミでよく使われています。

生きているかどうか自問するのは、生きている者だけだ。というのはなかなか面白かった。確かに、生きていない者というのはそもそも「生きる」という概念を持っていないのだ。

人間とは。生きているとは。を考えさせられる。読後、表紙絵を見ると、あー。と思う。

ボディを捨て精神だけで生きている集団…なかなか怖いですね。それでも生きていると言えるのか?

思い出す

 この本を読んでいろいろと思い出した方が多いようです。思い出した内容は、人それぞれです。

卵工場とバーチャルの世界を見ていて「すべてがFになる」を思い出した。

バーチャルの村の住人たち。息子がはまっている「マインクラフト」みたいだと思った。そして「すべてがFになる」のVRカートを思い出す。

面白かった。バーチャル世界での建設について考える場面で、「どうぶつの森」を思い出した。“どう森”で家を増築する時、まず申し込んでから少し待たなくてはいけない仕様になっているのだけど、そういうあえて設定された不便さに目を向けるとなんだか虚しい気持ちになる。

コナン映画の「ベイカー街の亡霊」を思い出したのは私だけではないよねっ。

最後の数ページはミチルとロイディの会話を思い出した。知らない人は「迷宮百年の睡魔」必読。

個人の感想

 私はこの本を読んで「すべてがFになる」を思い出しました。S&Mシリーズなどの未来を描いているとなると、脳だけで生活するという生活がスタンダードになっていそうですが、倫理的に禁止されているようです。ここまでくると、実はハギリ達はただの空想だった!みたいなオチにはなりそうにないです(ここまで読んで、そういう可能性もあるかもしれいないと思った)。

本のタイトルが「私たちは生きているのか?」で、テーマも生きているとはどういうことか?という感じだったと思います。生きている目的とかの話ではなく、そもそも何で生きていると思うのかということでしたが、そんなこと聞かれてもわかんなーいって言いたくなってしまう私がいます。ドラえもんは生きているのか?みたいなことだとすると、私はドラちゃんは生きていると思います。

考察

 ミステリーのような作品だったと思います。二輪車で旅をしているみたいな人物が冒頭に登場して最後に村長が自転車で逃亡するという部分や、外界と遮断されているけど太陽光だけは導いているので、それを利用してシステムに侵入するというのも、ミステリーでよく登場する伏線回収に思えました。ハギリ達とやり取りをしていた村長は実は替え玉で、本体は家政婦だったというのも、トリックのようなものを感じます。

 脳だけで生きているというのは、既視感のある設定かもしれません。哲学の思考実験に「水槽の脳」というものがあり、これが正に脳だけで生きているという状態を仮定しています。肉体というものはなく、自分が認識しているものは全て夢ではないかという、変な問い掛けですが、SFなどのフィクションでよく描かれているように思います(夢か現実かという問いは古くから存在したようです)。

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